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大人にひきずられる子供たち

 空が青く澄み渡り、暑くもなく寒くもなく、とても気持ちがよい日に、母が家出をした。何の予告もなく出かけていくのだから、本当の家出である。
 私が学校から帰って5時間ののち、母から電話があった。
「お母さんね、家出をして、今、実家にいるんだけど、お父さん帰ってきた?」
…何を言っているんだ?父と喧嘩したのなら、父も帰ってくるはずがないじゃない…。それに第一、本当に帰ってきてないんだから…。
 受話器の向こうで話し声が聞こえる。

「10万円あればいいかい?…そんな、お宅も大変じゃない…いいのよ、こちらは…」

 どうもお金のことでもめたらしい。たかがお金…と思うかもしれないけれど、家にとっては「されどお金」なのだ。それにしても、喧嘩の犠牲になるのはいつも子供たちだ。大人なんてどうでもいい。大人なんて1人でも生きてゆけるが、大人の保護を必要とする我々、子供にとっては、大人がいつまでも帰ってこないと、衣食住が保証されなくなってしまう。実家の祖母が話しかける。

「今日中に帰るように説得するからね。それまで我慢してね」

 そんなこと言われても、今はもう、午後9時を過ぎている。今日中に帰るといっても、家に着くのは午後11時を過ぎてしまうじゃないか。その時間はもう、私は寝てしまっている時間だ。父は今日は帰らないつもりなのだろうか、いまだに電話がかかってこない。いったい親は何を考えているのだろうか。子供たちのことをどう思っているのだろうか。
 私はいつもそうだった。親が喧嘩をして家出をするなんて、私の記憶の中では初めてのことではあったが、私が学校で酷い目にあっても、何もしてくれなかった。ただ「ああ、そう」の一言だけ。学校の教師にしてもそうだ。それぞれの教師による授業の進め方によって、勉強がわからなくなったときも、何の対策もしてくれなかった。人間なんてそんなものなのだ。
 そんなことがあって、人間全体を信用しにくい私にとって、裏切られることは苦ではなかった。いや、むしろ慣れっこであった。ただ、夕餉の匂いがなかったことが、私を少し寂しくさせた。
 実家の祖母に「今から実家に来るか」と言われたが、断った。だって翌日、学校があるじゃない…。それに、学校にはいくらでも嘘は言えるけど、本当の理由が「母が家出をして、実家に泊めてもらっている」では、後ろめたい気持ちになるのは当たり前のことじゃないか。一生帰ってこなかったら、後々になって大変なことになるのは、分かっていることじゃないのか。それに、私、いや、子供たちにもプライドっていうものがある。親の勝手な行動のために、子供たちのプライドまでもが傷つけられるのは、非常に辛く、嫌なのだ。
 結局母は帰ってきた。「これじゃまた、家出のやり直しだ」といいながら。でも、帰ってくるということは、それだけまだ、家に未練があるということだ。家に未練がないから、家出をするわけなのだ…。
「ご飯とか、気がついて買いに行けばいいじゃないの。誰も帰ってこなかったらどうするの」などと私に怒る。でも、それ以前に母が家出をするのはなぜだろうか…。
 その直後に父が帰ってきた。母は「実家の兄が貧血を起こして、それで実家に行っていた」などと嘘を言う。でも私は、ご飯を食べながら終始うつむいていた。そして、「また悪い予感がする」と、心の中で感じ始めていた。

(終わり)