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あれから5年

 あれから5年。
 僕−花園誠(はなぞのまこと)−はいつもの時間の電車に乗って、都心にある会社へ通勤していた。
 あれから5年。
 何故僕はこんなにも平凡な人生を歩んでいるのだろうか。

−・−・−

 がやがやとざわめく放課後の教室。僕は教室の一番前に立って他の生徒たちのことを見ていた。

「はい、みんな静かにしてー」

 顧問の矢野(やの)先生がみんなに声をかける。今日は県立星ヶ丘高校新聞委員会の最初のミーティングの日だ。1クラス2〜3人の選出で、星ヶ丘高校−略して星高−の全学年のクラスは27クラスあるから、本来ならざっと70人くらいは委員がいるはずなのだが、初日にして半分くらいしかいないようだ。

(うちの委員会は楽な委員会だと思われてるからなー。うちのクラスでも4人立候補して出席してるの僕だけだしなー)

 なんて思いながら、矢野先生の司会を見守っていた。

「まず、この新聞委員会では、学校新聞「星高タイムズ」というのを発行しています。皆さんは、その「星高タイムズ」の編集という仕事をしてもらうわけですね。で、その詳しい説明は、前にいる花園君にお願いします」

 顧問の説明の後、今度は僕が説明する番になった。

「はい。はじめまして、私は昨年度委員長をしていた花園誠といいます。よろしくお願いします。まず、みんなの手元にあるプリントを見てください。これはどうやって新聞を作るのかを示すものです…」

 ひととおり説明を終えた後、今度は委員長をはじめとする編集者を選ぶ作業に移る。新聞委員会では、僕たち3年生は「特別顧問」という扱いになって、1年生、2年生を指導する立場になるので、2年生の中から委員長を選出することになるのだ。

「えー、まず委員長を選ぶんだけど、誰かやってみたいという人はいませんか?」

 顧問がそうみんなに問い掛けるが、誰一人として手を挙げようとしない。そこで推薦ということになるのだが、それでも手を挙げないのだ。

「じゃあ、みんなで相談してもらおうか」

 顧問からの提案で、生徒同士で相談して、委員長を決めてもらうことになった。しかし、その輪の中に入らない生徒がいた。僕はその生徒をずっと見守っていたのだけれど…。

「じゃあ、私やります」

 その輪の中に入っていなかった生徒が突然、そう言いながら手を挙げたのだから、僕はかなりびっくりした。
 これが、その生徒−新島智子(にいじまともこ)−との最初の出会いだったのである。
 その後このミーティングは順調に進んで、無事に編集者を決めることもできた。とりあえず、めでたしめでたし、である。

 新聞委員会のミーティングは、毎週火曜日の放課後、東棟にある科学室で行うことになっていた。この日もミーティングが行われることになっていて、僕は少し早めに科学室にきた。

「こんにちはー」

「あーご苦労さん」

 矢野先生がイスに座って僕を出迎えてくれた。続けて、

「今日、新島は休みだから」

 と僕に話し掛けた。

「あ、そうなんですか?」

 僕はイスに腰掛けながらそういった。

「あいつなぁ、登校拒否しているらしいんだ。担任が言ってたよ」

「はぁ…」

「まぁ、いざというときは頼むよ」

「わかりました」

 いざというときというのは、不測の事態に備えて代わりに指揮を取る、ということを意味していた。

「できればなぁ、三田(みた)に戻ってきてほしいんだけどな」

「そうですね」

 三田という生徒は、昨年まで新聞委員会にいた生徒で、当時の1年生の委員の中では一番活動していた生徒だった。できればその三田君に次期委員長を頼みたいというのが、当時の執行部の考えだったのだが、別の委員会に入ったらしく、今回の委員リストからは外れていた。

「まぁ、今度お願いしておくよ」

「わかりました。お願いします」

 僕がそう答えると、矢野先生が立ち上がった。そろそろミーティングの開始である。
 今日のミーティングはほとんど顔合わせくらいなので、30分くらいで終わって、僕は家路へと向かった。

(何故彼女は登校拒否を…)

 そんな想いが僕の心の中から離れなくなっていった。

 翌週、新島は学校にやってきた。ちゃんと授業にも出たらしい。

「先輩、先週はすみませんでした」

「いや、大丈夫だからね」

 彼女とそんな会話を交わしたあと、ミーティングが始まった。

「花園、こんな感じでいいよなぁ」

「そうですね、大丈夫でしょう」

 顧問と確認をしながら、この日は、7月に発行される星高タイムズに掲載する記事を決めた。
 内容は、6月に開催される予定の体育祭、特集として「エイズについて」、僕が1年の頃から続けている「遊歩道特集」などである。
 こうしてミーティングも無事に終わり、最後まで残っていた僕は、彼女と一緒に教室を出て、廊下を歩いていた。そのとき、後ろから声をかける生徒がいた。

「あ、新島さん」

「中田(なかた)先輩…」

 中田というのは、彼女が所属する吹奏楽部の生徒で、僕と同じクラスである。声をかけられた彼女は、中田のほうに駆け寄っていった。

「それじゃ、先輩、部活にいってきます」

「はーい、お疲れさま」

 彼女は、部活に参加するため、僕と別れて中田の後を歩いていったのである。
 その後も順調にミーティングは続けられた。もちろん新島も参加の上である。
 そんなある日のことだった。夕方、彼女から電話があった。内容は委員会のミーティングの話だったのだけれど、その他にもいろんな話をしていて、延々と6時間も続いていた。学校のこと、先生のこと、付き合ってる彼氏のこと…。
 彼女には岡本(おかもと)という、同じ学年の彼氏がいるのだが、その彼氏が新島の行動に合わせるようになって悩んでいるという話があった。なぜ?と思うかもしれない。実際に僕もそう思った。そして話を聞いてみることになった。
 それは、彼女は「個性」というのを重視する人だった。つまり、彼氏が自分と同じ行動をとることに対して、戸惑いを感じていて、申し訳ないという気持ちになるという。僕はその岡本という彼氏にも会ったことがあるのだけれど、彼氏のほうも自分の意見というのを持っていて、それは立派なものだった。本当にしっかりしているという感じである。
 それでも新島は何かふがいない気持ちになるのだそうだ。
 僕はそういう経験というのがほとんどなかったもので、そのときは「そうだねぇ」と相槌(あいづち)を打つしかなかったのだが…。
 そして日付が変わろうとするころ、電話を切ったのであった。

 次の日の放課後、新聞委員会のミーティングが終わって帰ろうとしたときのことだった。

「先輩、ファイルを貸してくれませんか?」

 ファイルというのは、書類などを入れておくクリアファイルのことで、僕はいつも持ち歩いていた。それを彼女は「貸してください」といっているのだった。

「いいよ」

 僕は2つ返事でOKして、彼女にクリアファイルを渡した。

「返すのはいつでもいいからね」

「はい、じゃお借りします」

 彼女はファイルを受け取ったあと、ていねいに頭を下げて帰っていった。

 一週間後。

「先輩、ありがとうございました」

 新島はそう言うと僕にファイルを渡した。その中には手紙が入っている。僕は、彼女が一生懸命原稿を書いている最中、その手紙を読むことにした。

「Dear 花園先輩
 先日は長電話に付き合ってもらって、ありがとうございました。いろいろな話ができてよかったです。
 これからもよろしくお願いします」

 たったこれだけの文章だったのだけれど、僕はとても嬉しかった。

 そして夏休みに入ったある日のこと、家の電話が鳴った。

「プルルルル…」

「はい、花園です」

「あの…新島と申しますが、誠さんはいますでしょうか?」

「ん、どうしたの?」

「あ、花園先輩ですか?」

「そうだけど…?」

 少しの沈黙の後、新島はこう切り出した。

「あの…お話したいことがあるんですけど、今から時間ありますか?」

 なんと、彼女のほうから僕を誘ってきたのだ。僕はかなりびっくりした。そして、とりあえず彼女に付き合うことにしたのである。

「いいよ。じゃあどうすればいい?」

「では、学校の、新聞委員会室に来てくれませんか?」

「わかった。じゃぁ、今から行くから」

「よろしくお願いします」

 ということで、とにかく僕は学校に行くことにした。これから何かが起きることも知らずに…。

 学校に着いて、委員会室の鍵を開けた。鍵はいつも職員室、事務室に保管されているほか、顧問の矢野先生と僕がそれぞれ持っているもので、僕はいつでも開けられるようになっているのである。
 そして、委員会室の鍵を開けて新島が来るのを待っていた。30分ほど待ったころであろうか。不意にドアを開ける音がした。

「こんにちは〜」

「あ、こんにちは」

「先輩、どれくらい待ってました?」

「ん、30分くらいかな」

 新島の家は学校から1時間くらいかかるところにあり、僕の方が家が近いので、電話があってすぐ出かけたとしても、必然的に彼女のほうが遅くなるのである。

「先輩、差し入れ持ってきました。一緒に食べませんか?」

 新島の手には、近くのスーパーのビニール袋に入ったサンドイッチが握られていた。そしてそのサンドイッチを机の上に出す。

「じゃあ、ジュースでも買ってこようか。新島さん、何がいい?」

「では、コーヒーでいいです」

「コーヒーね」

 僕はそういうと、中央棟の1階にある自動販売機へと向かった。

(話したいことってなんだろう…?)

 心の中でそう思いながらも、委員会室のある東棟4階から中央棟へ行き、そこから1階まで階段を降りた。そしてジュースを2本買って、逆のルートで委員会室へと戻ったのである。

「買ってきたよ。はい」

 そういいながら僕は机の上にジュースを2本置いた。

「あ、ありがとうございます」

 新島がペコリと頭を下げる。

 最初は新島とサンドイッチを食べながらいろいろな話をしていたのだが、話の方向はいつしか恋の話へと進んでいった。

「先輩、好きな人っています?」

「ん〜、いないよ」

 僕は本当は新島のことを意識していたのだけれど、その気持ちを隠してそう答えた。

「本当ですか?」

「え…うん」

 しばらくの間、そんなやり取りをしながら話をしていたのだが、不意に彼女が立ちあがって、こう言った。

「先輩。キスをしてくれませんか?」

「えっ?…」

 これには僕は驚いた。そして同時に彼女も僕のことが好きなのかとも感じた。しかし、僕は動揺するばかりで、多少混乱をし始めた。とにかく、

「心の準備ができてない」

 と答えながらその場を逃げようとしたのである。そうしているうちに彼女はあきらめたのか、

「そのうち先輩の唇を奪ってみせますから」

 といって新聞委員会室を出ていったのである。僕は走っていく彼女の後姿をただ呆然と見ていた。

 その後、何もなかったように夏休みが過ぎ、2学期が始まった。そして最初の新聞委員会のミーティングの日。新島はとりあえず出席してきたが、すぐに帰ってしまったのである。その理由は「担任の先生と話があるから」とのこと。
 そしてその後しばらくして顧問の矢野先生から

「新島は休学したらしいよ」

 と聞かされたのである。こうして、僕の短い恋の季節は幕を閉じた。

 その年度の最後の日に発行された「星高タイムズ」に、こんな記事が掲載された。

「皆さんはよく、「友達」とか「恋人」だとか言うけれども、その範囲というものは、一体どういうものなのであろうか◆私にとって「友達」というのは、なんでも話し合える人たちのことだと思う。先輩とか後輩とか、そんなものは関係ない◆よく他人と話をしてみて「けじめが云々」という人がいるが、私はその人に対して"○○君"と呼んでいいから」と言ったことがある◆次は「恋人」の話だ。ある人が言うには、キスをすると「恋人」になるらしいが、それはどうだろうか。キスをしたから恋人、というのでは、それだけ意識が薄いということではなかろうか◆大体が「好き」ということがおかしい。我々のような年齢になると、男女関係でよく言われるが、他の場面ではどうなるのであろうか◆私は、部活での同輩とか先輩、星高には関係のない友達全てが好きである。私がそう書くと、変な意味になると思われるだろうが、決してそうじゃない◆純情な気持ちがあってこその「好き」というのも、別におかしくはないと思うし、だからといってすぐに変な方向に持っていこうとする方がおかしいと思う」

−・−・−

 あれから5年。僕は特に恋愛などせずに、何も変わらない生活を続けている。そして、そうすることが普通なんだ、と自分に言い聞かせてきた。あのときから、純粋にみんなのことが好きなんだと思うようになってきたのである。今も特に好きな人がいないというのも、そのせいなのだろう。
 …僕の恋愛経験は、5年前からストップしたままになっている。

(終わり)